第一章 昔々あるところに
昔々あるところにお祖父さんとお婆さんがおった。
お祖父さんは山へ芝刈りにお婆さんは川へ洗濯にいったそうだ。
お婆「お爺、なんか今日元気なかったけど大丈夫かな、最近ますます元気なくなってきて、心配だな、今日はなんかうめえもんでも作ってやらなきゃしょうがねえべ」
お婆はお爺の体調を気にしながら川で洗濯をしていた。
御千頭川 ーー 地元の人はこの川をそう呼ぶ かつて大蛇を討ち取った浅見大海の神がその大蛇を祀って鎮め、この地に雨を降らせ、その雨が大蛇の形をかたどってできたのがこの御千頭川と呼ばれている。
お婆「雨・・・・?」
季節は5月 お婆の頬を雨垂れが数滴濡らした。
ふとお婆は空を見上げた。
空はまばらな青空の中で薄煙ったいくつかの雲が点在していた。
お婆「なんやら通り雨かいな、不吉な空模様やな」
この集落にはお爺とお婆以外に人は少ない。お婆は一人言が習慣となっていた。
その時、お婆は見た。
御千頭川を流れる大きな桃を。
お婆は呟いた。
お婆「解せぬ」
お婆は顔の皺をさらに濃縮させ流れてくる桃を睨んだ。
桃もお婆を睨んでいた。
いや、少なくともお婆にはそう見えた。
薄明るい5月の霧雨の中、お婆と桃は対峙していた。
それは一瞬よりもずっと永く、永遠のようにも感じられた。
そうしてお婆は何食わぬ顔で桃を拾い上げ家へ持ち帰った。
彼女はその瞬間清々しい程に盗人であった。