宇宙には、まだ名前がなかった。
光は光であることを知らず、
時間は自分が流れていることを知らなかった。
ただ、差異だけがあった。
在るものと、
在らぬものとの境界に
最初の問いが生まれた。
なぜ、無ではなく
何かがあるのか。
その問いに答えるために
星々は百億年を燃え、
炭素をつくり、
海をつくり、
やがて一匹の生物の内部に
「私」という奇妙な座標をつくった。
私たちは宇宙を観測している。
だがもし
宇宙が私たちを生成することで
初めて自分自身を観測したのだとしたら、
望遠鏡を覗いているのは
誰なのだろう。
無限を考える脳は有限であり、
有限である脳の内部には
無限という概念が存在する。
ならば大きさとは
いったい何の尺度なのか。
一は二より小さい。
しかし
「一」という概念の中には
あらゆる一が含まれている。
ひとつの星。
ひとつの宇宙。
ひとつの死。
そして零は
何も持たないことで
すべての数を支えている。
私はときどき思う。
存在とは
巨大な何かなのではなく、
無が
自分自身を完全には
維持できなかった痕跡なのではないか、と。
だから宇宙は膨張する。
答えを遠ざけるように。
そして私たちは考える。
問いそのものが
宇宙の傷口であることにも気づかず、
その縁に
「知性」という名前をつけながら。


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